2012年08月15日

B・D 29

皆様残暑見舞い申し上げます♪


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「月がこっちを見ている」
結はそう思った。
僅かな記憶しかない灰色の脳裏に浮かんだヒカルの声と顔が、月に浮かんだ影のように淡くしかし輪郭は鮮やかに写った。
見える月にぶっきらぼうだけど優しいヒカルが、大きな灰色のカレシンがいるような気がした。
短い間だったけど自分の身を置いたベッドも。
空に伸ばした細い手首の先の手が、月が浮かぶ明るい青いうす暗闇の夜空の星をすくう様にゆらいだ。
結がこちらを見ている月がひときわ大きくなったと思ったそのとき、月の真ん中に小さな黒い点が見えたかと思うとそれは急激に大きくなった。
近づいてきたその点は風になびく金色の何かを持っていた
それは長い金色の鬣を持ったそして、大きな宝石のように輝く青と赤の双眸を持った白い体のドラゴンだった。
それはすごいスピードでこちらにあっというまに近づいてきて、あわやぶつかるかと思ったが、結は逃げずにその金色の鬣のある大きな頭にふわりと両手を回してしがみついた。
その結の体を大きな長い頭でひょいとすくうようにしかし彼には何の衝撃も与えずに、ドラゴンは彼の体を自分の頭にしがみつかせたままその速度でマンションの白い壁にすっと溶けて行った。

室内にいたルーシーが急激に湧き上がってきた不穏な空気に気が付いて総毛が立ち上がり、その気配の方向を見て凶暴な唸り声をあげたと同時に、半透明になって壁をつきぬけていく白く輝くドラゴンとその頭にしがみついた黒髪の結の姿を見ることになった。
無謀にもそれを引き留めようと大きくジャンプした彼女だったが、実体ではないそれを突き抜けて同じように白いマンションの壁にぶざまに飛びついて、あえなく床に落下するだけだった。
勇敢な彼女を笑うように、長いドラゴンの体は悠然と人間をぶら下げたまま壁を突き抜けていき、その尻尾がキラキラと七色に輝く白い体から砂のようなものを落としながら、壁の中に吸い込まれるように消えるのを、呆然と見送った妖猫は最後に一声唸ってから部屋の主に出来事を伝えるべく、自分のふさふさの尻尾を翻して走り去った。
「しまった」という和優貴の声がしたのはすぐだった。
それからあわてて入ったすでにもぬけの殻になってしまった、さっきまで結が一人置かれていたはずの居間の様子を見渡しながら唇を噛んだ。
速人は結が横たわっていたソファにあった毛布を手にした。
まだ体温で温かかった。
部屋の窓はしまったままだが、白いカーテンが今さっき風が舞ったようにふわふわと揺れていた。
何一つ壊れているものも、転んでいるものもないすっかり前と同じ光景だったが、見ているものを哂うように大きな窓に映る白っぽい黄色の満月がぽっかりと浮かんでいた。
「満月なのを忘れていた 彼は(月輪の精霊)なんだものな・・・  シキガミを呼んだんだ それも巨大な奴を」
足元で毛を逆立てている同じくシキガミである縞模様の雌猫にさえ怯えて泣いていた、彼の白い横顔が脳裏に浮かんだ。


次に結が目を開けたときはそこは小さな公園だった。
最初にヒカルやカレシンに会った、拾われた公園だった。
ドラゴンにしがみついたまま立って結はその時座っていたベンチを見ていた。
あそこに横たわっていたら、長い舌を垂らしたカレシンが目の前にいて少し怪訝な顔をしたヒカルがこっちを見ていた。
時間的にそんな前のことではないのにもう懐かしい気がする。
いや自分の灰色がかったもろい記憶層ではすでに遠い過去だ。
ただどんなに多くのことが無機質な灰色に染まっても、ヒカルだけは鮮やかな色を持ったままに立ってこちらに手を差し伸べている。
褐色に近い肌色と光を受けて輝く金茶の髪と青い双眸がより鮮明になって、結の手は届かないけどぐんと近くなってくる。
思わず笑みが口元にこぼれたと思ったとき、自分が体を預けている白いドラゴンの体がゆっくりと動いてベンチに近づいていて、結に座るように促すように首をうなだれた。
結はドラゴンの長い頭や髭に頼りながら、ゆっくりと崩れるように端が欠けたり雨や埃で薄汚れた白いベンチに座った。
正面に座った白いドラゴンは座った自分より、長い体をらせん状にして前足で立ち上がって、やや高い目線になってこちらを見下ろしていた。
だがその眼差しやのど元から出される「グルルル・・」という低い声は優しいものだった。
鼻の孔の下から伸びた赤い髭が、長いリボンのようにゆらゆらと大きな円を描いて翻り揺らめいている。
その髭の先が結の汗に濡れた頬をさらっと撫でたとき、大きな振動を持った声が頭の中に響いた。
「ダイジョウブ スグムカエガクル」
ちょっとびっくりして目を大きくした結だったがその声はずっと前にも感じたことがある、懐かしい深くて穏やかな響きだった。
紅と蒼の色違いの瞳の優しくてどこか悲しげな眼差しと、さっきまで自分をも包んで次元を超えたその白い体から出る肉体の目には見えないゆらめく波動も初めてではない。
しかしどこでいつ会ったのかはいつものごとく覚えてはいないのだ。
「アリガトウ・・」
結が頭の中で答えるのを聞き届けるようにして、ドラゴンは首を振り髭をひらめかせ全身をよりくねらせて肉体の耳では聞こえない声で咆哮した。
そして猫が飛び出すように縮んだ全身が伸びたかと思うと、ベンチに一人結を残して瞬間的に消えてしまった。
蒸し暑い夜の空気の中結は一人ベンチに座って、照明に照らされた公園の遊具の影や隅々の雑草やゴミの山を見た。
公園の真ん中には水の出ない大きな噴水があるけれど、それは結にはただの黒い塊にしか見えない。
例え昼間だとしてもそこには水の代わりに多くの廃棄物が投げ込まれた無残な噴水しかない。
そのビルの間にぽっかりとできたような小さな公園は通りすがりの酔っぱらいの吐き溜めであり、行き場のないチンピラや子供の寄合場所だった。
しかし何故かこの時だけは誰もいない無人の空間だった。
「結じゃないか・・」
その時声がした。
結が声がする方向を見たとき立っていたのは、見覚えのある背が高く肩幅もある角刈りのスーツ姿の中年男性だった。
しかしその顔には半分黒い金属のような質感の仮面をつけている。
それは以前店であったときのままだった、いや顔を覆う部分が少し多くなって前は見えていた鼻や額がすっかり隠れてしまっている。
片方だけあいた目がこちらを見て怪訝な声で「何してるんだ こんなところで」と尋ねてきた。
彼が答えられないことに気付いたのか男はそばに寄ってきて、座り込んでいる結を見下ろした。
「逃げ出したのかまた。」
ちょっとあきれたような声で、また見下げたような声色で彼は言うとため息をついた。
そしてゆっくりとポケットから携帯電話を取り出しながら、どすんと大柄な体を座らせた。
結は逃げ出したかったが、彼の黒い仮面に反応した自分の何かがそうさせなかった。
彼は変わらずに座ったまま何もしなかったが、内部で必死の抗争を初めていた。
「このまま知らんふりをして行ってもいいんだが・・・ヒカルさんはいたくお前さんがお気に入りだ。改めて言わなくても、今までどんな上客や取り巻き連中にも必要なこと以外の関心や感情を持たなかったあの人が、自分の意志で自分の手をかけた人間はお前が初めてだからな。」
その声が結の内部に届くたびに大きな地震のような揺れが起きて、気が遠くなるようなしびれが頭の中を巡った。
逃げ出したい、と心底思ったが、それをしたらどうなるか。
言葉にも感情にもならない無臭で無音の冷えた空気が自分の奥底から這い上がってくる。
その空気の下に潜むものを出してはいけないのだ。
結は息を詰めるように目を閉じて、まるで痛いおなかを抱えるようにして下を向いた
早く誰かに自分の名を呼んでほしかった。
そうでないといったいここにいる自分は誰なのか、分からなくなるような恐怖が湧いてくる。
「正直、正体もわからない無力なお前さんがこのままどっかに行ってくれたらいいと思っていたが、あの馬鹿犬が弱ったりすると困るのはヒカルさんだからな とりあえず連絡してやるよ。」
胸元のポケットから煙草を取り出して口にくわえて、携帯の履歴を探しだしヒカルに電話をかけた男は、隣の頭を下げた結がちょっと心配になり顔を覗き込むようにした。
「おい」
その声にくしゃくしゃの黒髪の頭が揺らいだあと、男の意識は途切れた


posted by YUE at 18:05| Comment(2) | CRAPS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

B.D28

もう勝手にキャラが動くままに書いてます
も〜〜〜 あんたらに任せたわよ〜〜(爆)


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天井の高い広い部屋だった。
しかしそうは思えないほどたくさんの植物がそこらじゅうに鉢植えで置かれて、高いものは天井に枝や葉が届きそうだった。
咲いた花はエアコンの風に時々吹かれて揺れていた。
その間にはこれまた大きな水槽が二つも置いてあり、明るいライトの中を華やかな色彩の熱帯魚ではなくて正反対に地味な色合いの川魚が泳いでいる。
その水槽の中を浮き上がっては消えるたくさんの酸素の泡が、低く心地よい音を何重にもはじかせていた。
まるで大きなビオトープのような部屋に置かれた深い茶色のソファは、夜の結のベッドになっている。
初めて来たけど初めてではないような懐かしい感覚が、ふわりと周りを見渡す結を包んでずっと抱えている恐怖や恐れを忘れさせてくれた。
「思い出すかい? 総領に聞いたけど君はこんな木や花が咲いていた山の生まれなんだそうだよ まあこれは鞍馬山の植物を持ち込んだものだけどね 」
背の低い男性 高いほうから「はやと」と呼ばれていた男がそう声をかけてきた。
生まれとはなんだろう? くらまやま?
内で自答する結の足もとにもふもふとした肌触りがあった。
ちょっとびっくりしてみたらグレーの縞々の長毛の猫が、結の裸足の足首をさらっと尻尾で撫でるように歩いて行ったのだ
来た時から木々の間からこちらの様子をうかがっていた先住者である彼は、三日目になって新入りの値踏みにきたらしい。
「ミャオン」
結のほうを振り向きながら小さな声で鳴いた猫の瞳は淡い黄色がかった緑だった。
黙っている結が「おいで」と言ったと勝手に解釈したらしい猫はソファに上がり、新入りの隣に座った。
しかしふわふわの縞々の背中に結が手を出そうとしたら、ふうっと顔にしわを寄せて拒んだ。
「ルーシー だめだよ」
速人が手の付けられなかったテーブルをかたづけながら言った。
「でも気に入ったみたいだね 前に和優貴さんがお店の女の子を連れ込もうとしたら縞々の風船みたいに膨らんで大騒ぎして、結局追い出したんだ。」
「うるさいな 彼女が猫嫌いなんだものしょうがないだろう」
隣の部屋にいるはずの和優貴がこちらに聞こえる声で言い返した。
「ルーは人間にはそう簡単にも触れさせないけど、そう簡単にも近づかない 客を気に入ったか もしくは見張るためか・・」
待っても和優貴がそれ以上言わないのを怪訝そうな顔でその方向を見たのを、結はもちろん気が付かなかった。
結はヒカルの部屋でいつもそばに居た大きな灰色の背中と太い尻尾 そして金色の瞳を輝かせた長い舌をだらりとした狼犬の顔や毛並みを思い出して、猫の背中を触ろうと思ったのだ。
目は荒いけどそれはいつも柔らかく自分を受け入れて支えてくれる、鋼のように堅くも暖かい毛皮の巻きものだった。
ここにきて思い出した最初のものだ。
結が「もう彼にも会えないのか」と思った時
『アンタは危険よ』
ふいに頭の中に黄緑の瞳の猫が話しかけてきた。
『アンタのせいじゃないけど危険なの 悪いけど見張らせてもらうわ 大丈夫アンタが悪さしなきゃひっかきゃしないから』
緊張した結が体を猫の反対側に引き寄せた。
『はやくそうりょうといっしょにおやまにいくといいわ』
こちらをじっと見ながら舌なめずりする猫を見ないようにして、思わぬ警告に怯えて泣き出しそうな顔になった結が気の毒になったのか、猫は可愛い甘い声で鳴いた。
「ミャオン」
結が頭を両手で抱えてそこにうずくまったのを見て速人はそばに来て、脈をとり熱額に手を当ててをはかった。
「具合が悪いの? なんか脈が速くなったね もう横になったほうがいいかな」
「ルー あっち行けよ」
隣の部屋から入ってきた和優貴がそういうと猫は彼の顔を一瞥してソファを下り、入れ違いに外へ出て行った。
「やっぱりなんか食べたほうがいいんだけどなあ」
速人がそっとソファに横にした結が腕で顔を覆ったのを、空腹からくる不調だとしか思わないらしい。
いいやつなのだがまっすぐすぎるし見方が甘かった、またそれは彼が中々上の階級に上がれない訳だったが。
「コンビニにでも行ってくるか?」
「栄養剤でも買ってきたほうがいいかもしれない。」
「そうだな 頼むよ。」
ポケットの両手を入れたまま和優貴が言うと、速人はそのまま出て行った。
静かな酸素のモーター音が木立の間に響く部屋には口のきけない結と和優貴が残された。
和優貴が見ると結の腕の下になった頬には照明に照らされた涙があった。
隠している両の腕の手首にはまだ包帯が巻かれたままで、治療の時見たやせこけた体の痣や内出血のあとはまだはっきりとしていた。
あの人外の戦場でもヒカルと引き離されても、なんの感情も見せないままここにきて初めて見せた涙であり、外部への反応だった。
周りへの希望も慕情もないかわりに、ただただ人にも自分にも無関心であり続けることで彼自身を守ってきた結界なのかもしれない悲劇が哀れだった。
「光」の猫ルーシーに警告されたのが恐怖にしか聞こえなかったのだろう。
それは彼の中に確実住んでいるはずの「闇」の権現が見せた反応かもしれない。
その重さにいつも楽天的と言われる彼の内部にも重苦しいものがよぎる。
しかしそこにいるのは痩せた体をさらに痛めつけられたただの青年だ。
小さな猫に怯えて黙って涙を流すしかない彼に何ができるのか。
「もうすぐお前のど偉い保護者が迎えに来るよ そしたら思い切り泣くなり話すなりすればいい ・・・本当にそうなればいいな 天羽 結」
和優貴は心の中で彼に向かってそうつぶやいた。
窓から見えるのは闇がせまる夏の夕暮れの深い蒼空だった。


そのあと速人の買ってきた子供用栄養剤を無理矢理のどに流し込まれて、結はソファに横になっていた。
他には誰にもいない静かな部屋だ。
相変わらず腕で顔を隠している下で涙が出てくる。
「危険」
そういった猫の言葉−頭の中に響いてきた言葉が怖くてぎゅっと手で顔を画し、目をつむって防いだ結だった。
そうわかってる・・自分は危険・・
だけどそれは自分ではどうにもならないのだとも。
そのせいで自分に記憶も声もないことをうっすら感じていた。
誰かが触ると痛みを伴う自分を守るように張っている見えない幕もそれと同じものだ。
痛いのが嫌で寄ってくる人から逃げ回ったり、でもさみしくて誰かに触れてほしくて痛みに耐えたりする時も同じように警告してくるのがその幕だ。
「誰かと関わってはいけない」
その声と自分の中からわいてくる感情とぶつかり、ときにはぐちゃぐちゃになってわけがわからなくなるときがある。
そんな時は必ず逃げ出したくなって、やみくもに自分がいる場所から走り出してしまうのが常だった。
ソファの上で横たわりながらそうなる自分を想像すると怖くなって、ますます不安にさいなまれていた。
その時誰かが自分の手を掴んだような気がした。
結は逃げようとしたヒカルの部屋の玄関で彼に手を掴まれたのを、まるで今さっきのことのように思い出した。
「お前はここにいるんだ」
こことは壁の色も間取りも違う空間で暮らした何時間かで、ヒカルが自分に注いだ行為をすべて思い出せる。
あたたかい食事や風呂 少し荒っぽい治療 僅かな笑み 大きく揺れるカレシンの尻尾 小さな部屋のベッド
彼が自分の幕に触れてもちっとも痛くないのはどうしてだったんだろうと。
また突然現れた恐ろしい化け物から、自分を守ろうとしたときの背中の暖かさがふわっと思い出された。
耳で聞こえる声では言えなかったが「ありがとう」と一回だけ言えたことが遠く懐かしい出来事のような気がする。
あの時もこんな風に怖かった。
店のドアを開けて入ってきた人が、いつも自分以外には見えない恐ろしい仮面をつけていたからだったが。
あれがどんな意味か またどんなに怖かったか ヒカルに言いたいと思った。
その人はヒカルの親しい人だったから。
でも今の自分は小さい猫の警告に怯えて小さくなっているしかないのだ。
しゃくりあげたついでに顔を上げて外を映す窓を見上げた。
窓から見えたのはぽっかりと浮かぶ白っぽい金色に輝いた満月だった。
涙で潤んだ彼の真っ黒な瞳の中にその月の光が差し込んで、小さいが輝く湖面のような光を与えた。
その光は彼の魂の中に一筋の細いが強い光線になって切り込み、誰にも見えないようにしまっていた裏側の闇を切り裂いた。
その闇が避けた部分に月光が降り注ぎ、そこにいた人間をまるでそこにいるように浮き立たせる。
その人は明るい茶色の長い髪を風に翻した後姿だった。
手を伸ばせば届きそうに近いように感じて手を伸ばそうとした。
汗と寝癖でぐしゃぐしゃになってしまった黒い巻き毛が、頭皮からふわりと浮き上がるように自分の内部から吹き出す風があった。
しかし自身は全くそれには気付かずに、ただただ窓の外の輝く丸い月を見つめて瞳の端から涙を一筋流す。
自分を守っていた手が月に伸びて、長く動くことを忘れていた唇が震えて誰にも聞こえない声で彼が呟いたのはその時だった。
「・・・会いたいよ」
かかっていた薄い雲が晴れて満月の光が幾段か強くなった。
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posted by YUE at 10:10| Comment(2) | CRAPS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

B・D 26

間開けすぎて設定もセリフも忘れた・・・
ちゃんと書かないと(・・;)

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朝・・といってももう九時だった。
以前のように再開した目覚ましのアラームが鳴ってやっと起きている。
しかしそれを必要とする相手が以前とは全く違う生き物になったようだった。
「・・・」
長々と大理石の玄関先に伸びた灰色の獣の姿は置物にも見えるような美しさだが、依然見せていた野性味と言う生気がなりをひそめている。
結がいなくなった二日間 ろくな食事をとらないでいるせいかとも思う。
同じ部屋にいたときは一時も離れないほど懐いていた人間が、いきなりいなくなるというのは、狼犬にとってそれほどに辛いのだろうか。
人に執着したことがない自分には想像ができない・・と思ったが、自分も彼がいない以前の同じ生活パターンに戻ったはずだけなのに、やはりどこかに空虚感があるのを感じずにいられなかった。
広い部屋で彼が使ったわずかな痕跡である食器やベッドの寝具や脱いだ服が目につくと、どこか心の一部にひんやりとする風が吹いた。
そういえば彼の部屋のベッドわきのサイドボードに、彼が唯一持っていたものである手紙の封筒が置いたままだったのを思い出した。
もう必要ないと思いながらまだ捨てていない。
最後に見た彼の青ざめた白い横顔が目に浮かんだ。
初めて会った時からずっと表情がない、時々怯えたときだけゆがむ痛々しいけがを負った顔。
その顔がカレシンがそばに居るとわかったときだけ、ちょっとだけ緩むのもわかっていた。
ヒカルはそんな風になった人間を暴力薬物ノイローゼアルコールなど原因はいろいろ今まで多く見てきたが、彼は少し違っているような気がした。
いやそう思いたいのかもしれない・・と思う自分もいる。
そういえばその怪我の原因を聞くことをしなかったなとも思った。
なぜあんな暴力を受ける羽目になったのかと聞いても彼に答える言葉はなかっただろうけど。
こちらを見ることがほとんどなかったあの目でこれまでいったい何を見てきたんだろうとも。
「・・あきらめろ あいつはお前の元の飼い主のところに行ったんだろう めでたし、めでたしじゃん」
誰に向かって言っているのかと思いながら、ヒカルは寝そべった大きな体を裸足の足先でつつきながら小さな声で言った。
カレシンがその声に耳だけを回して微動だにしなかったが、足先が触れるとのっそりと体を起こしてヒカルがまるでいないように、そこから立ち上がり部屋の奥へと向かった。
そして当たり前のように結がいた奥の客用部屋のドアを、器用に長い鼻先でこじ開けて滑るように中に滑り込んだ。
その狼犬の行動にはドアが軽くぱたんと閉まる以外の音は全くない。
「ふん」
ヒカルの吐いた声をカレシンの耳が捉えたどうかはわからない。
ヒカルはリビングの愛用のパソコンを開いた。
たまった受信メールボックスの中に最新の受信に見たくないアドレスがあった。
自分やカレシンのバイオリズムを記録している側との連絡に使われている、ありがたくないものだが、しかしめったにこないものだ。
不審に思いながら出るとやはり狼犬が「必要な水分の摂取 カロリー不足の傾向」の指摘する内容で来ている。
水も何も取る気がないのは見ていて明白だった。
リビングの片隅の水飲み場にもその脇のエサの容器のそばにも、結がいなくなってからは一切近寄ってない。
これが進んだらどうなるか・・・彼の先代オーナーからの莫大な相続権利に問題があるとクレームがつくだろう。
「ったく・・腹減ってるくせに・・」
ヒカルはちょっとイライラしてその画面を閉じた。
愛用の煙草を取り放り投げるように口にしたときだった。
「リーーーン」
玄関のインタホンが鳴る。
セキュリティの厳しいこのマンションでここまでこうして入れる客は限られている。
カレシンはこの気配に気づき玄関先を去ったのかと気付いた。
音声がヒカルの聞きなれた太い声を放った。
「おはようございます 久住です 朝早くすいませんが・・起きてましたか」
「おう」
ロックが開いて久住がいつものように入ってきた。
リビングに見せた姿はどこかくたびれたグレーのスーツ姿だった。
その姿がいつものように凄みのある覇気がない気がして、思わず一度は口にした煙草を外した。
「夜にでも会おうって電話しようと思っていたんだが・・」
ヒカルの切り出した言葉が
「・・具合でも悪いのか?」
「いやあ・・ぼちぼちですかな。」
ちょっと笑った彼の男っぽい武骨な顔にますます色がないことにヒカルは不審を覚えた。
「あいつを返した・・?とか」
「早いな」
「よかったじゃないですか 厄介払いができて」
「当てが外れた 馬鹿犬の相手がいなくなったからな」
「犬の世話はまあいいとして、ヒカルさんが同じ部屋に一緒に暮らす相手ではないですよ。何をどこから引っ張ってくるかわかりませんから 今は相続の条件を整うまでの大事な期間です どうか慎重にしてください。」
「なんだ・・朝からまじめな話だな。」
ヒカルは煙草の灰を灰皿に落とした。
「折り入って頼みがあります。」
久住の顔が見たことがないくらい真剣でせっぱつまってるのをヒカルは感じた。
「なんだ・・」
「金を貸していただけませんか?」
「・・・なんとまあ単刀直入だな・・こないだ貸したので間に合わないってこと?」
「まだ返してないうちにこういうのもなんですが・・早急に入用になってしまって・・」
「だからサラ金とかに足を運んでたのか?」
「聞こえてましたか・・」
久住がひきつったように顔を歪めて笑った。
「お前がそんなことするくらいだから相当せっぱつまってるんだろうな・・貸さない手はないけど・・本当に大丈夫か?」
先の金額もそう小さな金ではない。
借りた金を返す返さないもそうだが、そんなことでこの男を見限ったり今までと違う目で見たりしたくない、というヒカルの中のこの男への欲目があった。
自分は結構この朴訥だが信頼できる男が好きなのだと、こういうとき気が付く。
「あんたはうちの顔役なんだからさ そういうときは最初にこちらに相談してくれよ 借用書はあとで送る 前の口座に同じ額を振り込んでおくから役に立てるといい 本当に孝行息子だな あんたは」
家族のない自分にはうらやましいという前に久住が首を振って言った。
「選べませんからね」
高い窓から日の光がさあっと入っていた
その光の影になって久住の顔がさあっと隠れてしまった。
まるで影がしゃべるように久住は語った。
「親も子も自分が選んで生まれてはこれないんですよ 自分が自由に選べる選択なんてそうたくさんあるもんじゃない 私は事業に失敗した親兄弟を恨んだことはないです しかし自分の血のつながったたった一人の娘には恨まれる存在になってしまった。」
「よその女を作ったあんたに捨てられたんだろう・・当たり前さ。」
「・・・そうですね 当たり前なんです しかし辛いもんですよ・・」
久住の声がまるで遠い大きな暗闇の洞穴から聞こえるような、遠くくごもった響きを持って聞こえた。
妻子を捨ててまで一緒になった女は数年前にあっけないほどに交通事故死してそれ以来久住は独り身ですごしている。
それでも仕事ぶりは変わらなかったがどこかさびしいものがあったのは、まだ若かったヒカルでも感じられたものだった。
当時まだ生きていた先代が「奴は自分が行った負を女の死で精算したのだ」と呟いたのも覚えている。
じゃああんたらに支配されているもしくは飼われている俺の負はどこで精算されるんだろう?
とヒカルは訪ねたかったかそうはしなかった。
無視されるに決まっていると思った。
彼が育つ間に処世術として身に着けたあきらめという感情の処理の仕方だった。
久住もあきらめてはいるのだろうと思う。
実家の事業の失敗 離婚 再婚相手の死 そして新しい男ができた母親からも捨てられて自分を恨みながらもそばに来た娘。
自分には自由も肉親もないかわりにそんなわずらわしいことがないから、「ああ、そうなのか」としかおもえなかったけど、そういう気持にあこがれる気もどこかにあった。
今まで自分に色目を使ってお金を惜しまない客にも、自分の損得や将来性や有効性でしかランクすることしかしなかったヒカルだったが、広いこの部屋に、あの拾った汚い青年を何日か置いてその体臭がどこかに残っているせいかもしれない。
大事な人が去ったり離れたりする気持ちとはこういうものかなと。
大きな毛むくじゃらの狼犬の背中が目に浮かんだ。
ヒカルの脳裏の中で彼は青年が寝ていたベッドの上で丸くなって眠っている。



「いったい何なら食べるんでしょうね」
朝食の並んだテーブルの前に一人座って動かない結を、鞍馬山の領人である速人が困った顔を見下ろしていた。
すっかり怪我が治った彼の顔に顔を近づけて
「食べないの?」と速人は優しいその声で尋ねるが、結の反応はない。
目玉焼き お味噌汁 トースト 牛乳 オレンジ ヨーグルト
一通りのメニューが並んだテーブルの上のものに、一切手を出さないで結はじっと座ったままだ。
「ここに来てからまだ何も食べてないんだから もういい加減食べないとダメだよ」
開かれた目が真っ黒な夜のように黒くて星のように一筋の光を宿しているが、それ以上のことは何も伝えてこない。
「今まで何食べてたんだろうな」
シャワーから上がった和優貴が頭をタオルで拭きながら出てきて、キッチンテーブルの二人を見ながら言った。
「『結界』のせいですね」
「多分二重にかかってるんだな。」
「それも最近のは自分でかけたんですよ。」
速人が指で頭から顔を振れない程度の距離でなぞった。
「最初にかけられてる結界がそういうものなんだろう 名前を主にした時間と存在と肉体の契約・・・名前がすべてを決める類だ かけられた人間の存在も意味も意識も」
「だからって食べないのは・・」
速人が指が反応する結界の刺激から逃げようと離れた。
「瑞貴が今の仕事を終えたら速攻こっち来るから待ってようや 水は飲んでいるんだろう?」
「コップで無理矢理流しこんでいるんですよ。飲んでいるっていう量じゃないです。」
「明日も食べないなら点滴だな 今夜はこのまま様子を見よう。」
「はい・・なんでもいいから食べないかなあ」
速人は持ち前の優しさで純粋に拾ってきた若者の体を心配する様子を見ながら、和優貴はほっとする暖かさを覚えた。
鞍馬山の一部の領域である医学や薬草学の特士である彼は、結の素性を本当の意味では知らないのだ。
もし知ったらこうやって優しい言葉をかけるだろうか。
いや 速人にとっては病人やけが人は皆等しい助けるべき存在だろうから、きっと変わらないだろう。
和優貴は窓を見た。
ここは総領の出番を待ったほうがいいようだと思いながら愛用のスマホを開く。
「この子可愛いだろ?」
画像を開いた彼の声に速人が「え?? 夕べ何してたんですか??」と驚いた声を上げる。
「じゃーん おかげさまで羽を伸ばしてきました お前も今度行く?」
「やめてくださいよ」
世間に疎い速人が赤くなって手を振る。
和優貴が笑って部屋がより明るくなった。
それから窓を見上げた。
このマンションの窓からは町のくすんだそれでも青い朝の空しか見えない。

二人の会話を結はどこか遠いところで聞いているようにとらえていた。
食べるように背の低いほうの男に言われても、食べる気も手を出す気もしない。
体の中にぽっかりと穴が開いているような感覚だった。
そこがあるから頭も手も足もばらばらで自分の意志では動かせないのだ。
ここに来る前はそこに大きなものがあったから、目も耳もよく聞いたような気がする。
今はそれさえも朧だ。
ぽっかりと頼るものがなく空に浮かんだような感覚の中で、結は誰かを呼ばなければと思った。
「逃げ出す前に俺を呼べよ」
と言う大きな瞳の中にあった、きらきらした綺麗な光がこちらをまぶしく照らすようだった。
その人はそしてこう呼んだのだ。
「結はここにいるんだ」
それはきっと自分の事だ。
そう呼ばれることが自分にとっては一番大事なことなのだとうっすら思い浮かぶ。
そしてその名を呼んだ人はなんと言っただろう。
「・・・ヒカル」
聞こえない声で呼んだその名を聞いた人はいなかった。


posted by YUE at 17:12| Comment(0) | CRAPS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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