2011年10月26日

万聖節に黄金の雨は降る  内田善美

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その高潔にして緻密な画力は 
計算されつくしたディティールの人物や造形物と隙の無い装飾で、
埋め尽くされた豪奢なヨーロッパの壁を飾る広大な宗教画を連想させるものだった

デッサンとか背景とかの少女マンガの造詣や常識を飛び越えた画面に
たぶんデビュー当時の編集者また読者は度肝を抜いただろう

私もその漫画離れした美しい画面にひきつけられ
またその漫画の台詞とも説明文とも違うリズミカルでリリックな
情緒と哀愁を帯びたモノローグは頭から一度読むと離れなかった


この作品はだいぶ大人になってから中古本屋で見つけて所蔵していた単行本のなかの作品

彼がよく登場させていたアメリカの美しい田舎町ゲイルズバーグに
ハロウィンの時期自分を置いて出て行った母親を探しに来た孤独な少年の物語

彼がであった可愛らしい少女アリス
不思議な仮装をした少年パック

病を患い生きる希望をなくした孤独な彼は、
最後に母親を人目見ようとこの町に来たが
パックと一緒に魔王に会いに行くと約束したアリスが
実は自分に妹だったと知る
絶望しかなかった自分にとって今は自分を慕う
愛くるしいアリスが唯一の希望であり愛になった

しかし同時にパックが本当に魔王の手下の妖精であり
アリスの変わりに黄泉の魔王の下に行くことを承諾してしまう

黄金色の枯れ葉が輝くお化け屋敷に来た彼を、泣きながらアリスが追いかけてくる
だが抱きついてきたアリスにかくれんぼの鬼をいいつけて残し
ハロウィンが終わり 万聖節の夜 彼は黄泉へ繋がる漆黒の闇へパックとともに消えていく


作者独特の静かで叙情的なモノローグは読むのを繰り返すごとに、
上質な大人の絵本を読むように染み入ってくる
見ている側に絶対的圧倒的な美しさを放出する画面構築が
世の映画を誌上でそのまま再現するような迫力と造形美を与えた


擬音も斜線も時には枠線もないときもあった
芸術というしかなかった彼の作品は
漫画やイラストという分野を超えて
「作家 内田善美」という宇宙であり宝石であり分野である
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2011年10月20日

馬耳東風 稲垣吾郎

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発行日 2001年6月22日 
その日付に当時手にしながら買わなかった思い出と、
その後の彼と彼の仲間の厳しい旅が思い出される

気に入った写真がないという理由で買わなかった当時
しかし茶の間のビジュアルファンならその程度の判断しかできないだろう
数年を経て彼の深いファンになって手にした本作を読んで、
出版当時すぐに買わなかった自分を叱りあざ笑った
いったい彼の何を見てファンだと言っていたのだろうと

エッセイと言いながらそこはまるで「稲垣小説館」
彼のすこぶる自由で優雅な自意識またはユーモラスな美的感覚を主人公にして繰り広げられる、
都会の光と風景をバックにした洒落たショートストーリーのようだ
脇役は彼の友人知人にして無名の人たちにして

編集者を前に原稿を見ながら打ち合わせ、
またはどこかに缶詰wになってペンを走らす姿も
きっと映画のワンシーンに見えるであろう若い、
しかし必要以上に甘甘しくないクールな容貌が
文章の一風ミステリアスな文章をさらに印象深くする



「言葉が的確に伝わる「怖さ」を知った今言葉で後悔はしたくない」
「だから。知性がなくても頭を振り絞り、間違いのない言葉を選びたいものだ」

p149   のみ込まれない言葉のために


現在バラエティでまたドキュメントやワイドショーなどの画面から送り出される彼の言葉に、
この文章の意味をまた彼の貫くタレントとしてのスタイルを知ることができる
テレビタレントとしての潔さまた人間としての深い戒めを、
同時にこの若さで持つ価値をしる大人になりたいものだ


「アイドル」としてデビューして思春期を過ごし、
現在は「バラエティの三枚目」または「ドラマの二枚目」そして「印象的な準主役」
そして時には正直すぎるほどの映画のレビューを語る
SMAP 稲垣吾郎の持つ顔の同じように端正でいて
決してひとつではない奥深さが書く、
濃密に計算されていてなおかつ流れていく韻を踏むような文章は
当時私には魅力的ではなかったクールな画角のフォトによく似合っている

見た人が驚くような幅広い役柄をこなす彼の今に至る青年期真っ只中の瞳に
写ったものを知ると、
彼が今の存在感にいたる訳がわかる極上のエッセイ本である

この本出版から早11年 
時を経て試練を超えて充実の今を迎えたリアルな彼がつむぐ文章もぜひ読みたいものだ




☆2011年3月11日の震災により所蔵していた書籍をすべて流失しました
その中の一冊であったこの本を今回友人により寄贈していただきました

彼女に深く感謝申し上げます

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2011年10月18日

広島に原爆を落とす日 つかこうへい


広島に原爆を落とす日  つか こうへい



朝鮮の李家の王子にして日本帝国軍人 犬子 恨一郎
泣き女にして日本三百年来の美しい刺客 髪 百合子
日本の歴史の闇に弄ばれ翻る若い二人の命と運命の物語

噂に聞いていた主役や舞台のイメージのかけらもなく物語は始まり、戦争の殺人の血なまぐささや息詰まる国家や歴史や陰謀の中であえいで消えていく人間たちを駆使して、作家が見てきた日本や社会や祖国と言うものを、ノンフィクションと言う形をとってリアルな肉をつけて差し出されている

当時の歴史の知識があればもっと違った見方ができるであろうこの物語は、読んだものを翻弄してまた一方的に惨い戦争前夜の日米独の息詰まる攻防戦の最中に連れて行く

余命乏しくも心優しいヒットラーの花嫁になった百合子の冷血極まりない刺客ぶり
そして名前や言葉を奪われた朝鮮人として戦前戦中の陰謀や策略そしてついには原爆投下にかかわる恨一郎
そしてどんな悲惨で陰鬱な状況でもそれに反するように、明るく華やかな李家の母親 知淑 
そして天才博士の精子を使って人工的に生まれた、謀略の天才アメリカ政務官スニードが見えない糸になって絡んでくる

一見小説だが、これはやはり緞帳の下がる板の上で無限の時間や空間を背景にした、有限の台詞の押収で綴られた戯曲なのだなと思った
どこまでも虚構でどこまでもが現実か
いや大胆かつドラマチックな物語の底辺には、在日という作者の味わった氷のような冷たい現実や轟音のような感情が流れている

国だけでなく名前や言語を奪われた民族や国家の恩讐 憎悪 悔恨 悲しみ
それらを現代の日本に住む私たちが想像するだけでは追いつかない重すぎる歴史で
私たちにいたる過去の人間もどこかで必ずかかわっている事実だ
人間の薄暗い本能が牙をむくことが多く尊ばれた時代

今その国の言葉料理ドラマ映画名前がメスメディアに出ない日はないほどになっている
日本語で歌われる昨今のK−POPの皮肉な存在感を感じるのは、確かにこの本を手にしてからだ
そして今また放射能と言う言葉が日本の社会の中で大きくなっている中で読み、さらにそれらへの畏怖と恐怖とそして正しい知恵の存在を知るべきだと考えた

時代は変わっていつか作者の思いが悔しさが、形を変えて美しいものに浄化され変化してこの世に下りてきたものならそれはそれで美しいと思う
それを彼がその目で見てなんと書き記してどんな戯曲を書いたか見られないのはあまりに惜しい

戦後の日本の舞台芸術の歴史にあまりに強烈な閃光を残して行った作家が、その内部の光と闇で彫った大きな彫像のような作品である

posted by YUE at 12:37| Comment(0) | 感想色々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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